大師によっぽどのご縁あり

西新井大師

西新井大師

社用で西新井大師へ。11/23(月)の七五三で川崎大師へ行ったので、一週間のうちに二回、南無大師遍昭金剛にお目通り。よっぽどのご縁と存知ます。

この「よっぽどのご縁」というのは以前、会社に講演に来て頂いた僧侶の大谷徹奘(てつじょう)氏が言っていた言葉。薬師寺第五位の偉い坊さん。話は非常に良かった。 →薬師寺 大谷 徹奘

彼がさまざまな人生の悩みに対する答えが仏法経典の中にはあるはず、と信じて研究し、ついに発見した仏法の神髄を専門用語では長くなるのでできるだけわかりやすく平易に一言で表すと「よっぽどのご縁」ということだそうで、これはなかなか深い。

この聖、声うちゆがみ、荒々しくて、聖教の細やかなることわりいとわきまへずもやと思ひしに、この一言の後、心にくく成りて、多かるなかに寺をも住持せらるるは、かく柔らぎたるところありて、その益もあるにこそとおぼえ侍りし。 –『徒然草』第百四十一段

我々の購入したお札がそれなりに大きなものだったらしく、お坊さんが「お茶とお菓子をご用意します」と別室に案内される。出されたお菓子が美味しかったので、購入して帰ろう、と盛り上がる。「大きな札を買うような顧客層にお菓子をご馳走するのは、これはもしかして有効な営業戦略なんじゃないか」と軽口を叩きながら、店頭に足を運んだら「あれは注文品なので店頭では置いてないのです」とのこと。意気消沈して帰る。営業戦略だとしたらあまり有効に機能していないようだ。せめて別の品を「これも美味しいですよ」と勧めるくらいはしていいのに。

2015-11-26 10.47.27

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