ゲスト的観点から眺めたもがちょふのパラカップ2009感想

チャリティマラソン「パラカップ2009 ~世界の子どもたちに贈るRUN~」について。 今年はスタッフとしては参加できなかったんだけれど、メンバーに「ゲスト的観点から眺めたもがちょふのパラカップ感想を楽しみにしてるよ」と言われたので、書いてみる。

◆マラソン応援の構造的な限界 今回、ほとんど客分として大会を見ていて、「マラソンの応援」というものの構造的な限界を感じた。ランナーは高速移動するが、応援者は移動できない。ピンポイントに応援する以外のことができないのだ。となると、応援者はどこか、自分の選んだ一点に張るしかない。順当に考えれば、スタート&ゴールで応援するのが、もっとも安全な楽しみ方ということになる。ならざるを得ない。 いったい人はなぜ、マラソンを応援するのか、一度突き詰めて考えてみた方がいい気がする。そもそもマラソンの応援って、いったい何が楽しいのだ。ランナーの列は過ぎていく。その中に知り合いを見つけて「がんばれ!」と手を振る。相手は笑顔で走り去る。その数瞬を楽しめるか。楽しめるとしたらなぜか、楽しめないとしたらなぜか。 まして、知りもしないランナーの応援はどうか。どうしたら、人はマラソン応援を楽しむことができるだろう。実際にマラソンや駅伝を応援している人たちは、何が楽しいのだろう。 ◆仕組みの工夫で応援を楽しくする ヒントとしては、いくつか「分かち合う感動 PARACUP 代表のブログ」で紹介されていた「新しい仕組み」にありそうな気がしている。チャレンジチャリティ、メタボランティア、JOG NOTEなど。新しい可能性を感じさせる。 たとえば、ランナーのゼッケンにその人の抱える目標が読めるとしたら? いや、文字では細か過ぎて読めないと思う。じゃあ、ゼッケンにでっかいアイコンや色枠がついていて、「チャレンジチャリティ参加者」「メタボランティア参加者」といったことがわかるようになっていたらどうか。応援する人も「この人はチャレンジチャリティしているんだな」と思って応援に熱が入るかも、しれない。いや、ちょっとそれじゃ足りないな。何かまだもう一工夫が必要だ。 じゃあ絵馬とかどうかな。ランナーが絵馬を書いて、会場に残す。会場で応援する人が絵馬を見ると、ランに賭ける気持ちを読むことができる。当日書くのが大変なら、参加登録時に文字で入力するのでもいいかもしれない。それをプリントアウトして会場で読めるようにする。ゼッケン番号と対応させてもいい。そしたら、応援する人も「あっ、228番のランナーは、あの目標を書いていた人だ」とわかる。これなら応援したくならないだろうか。 いやいや、これもまだだ。面白いけれど、わざわざ読んでるヒマとかなくないか。もう一工夫も二工夫も欲しい。アイデアは、たくさん出して、その後の練り込みが勝負なのだ。ともかく、そうした工夫はできる気がした。 ◆マスメディア的な手法を入れる 単純に、テレビ番組の手法を取り入れることも、できなくないと思う。 大きなコースマップを会場に用意して、各先頭グループの場所をマグネットか何かで表示できるようになっていたら、見る方も「お、今頃ガス橋をまわったところか」って思って楽しめるかもしれない。いや、もう一工夫欲しいな。 囲碁番組の大盤のイメージはどうか。解説者が「今この辺りですね」とか話しながら、コマを進めていく。それとも競馬解説の方がいいか? 「先頭まで三馬身に詰めてきた、詰めてきた!」とかできたら、面白いだろうか。……いやダメだな(苦笑) でもテレビのマラソン解説は、そういう雰囲気だよね。 こうした手法は、大会の品格を貶める危険性をはらんでいるけれど、見た目にわかりやすいという意味では、応援者フレンドリーと言えるかもしれない。 ◆応援者とランナーを結ぶ 先ほど「応援者はどこか、自分の選んだ一点に張るしかない」と書いた。しかも会場の都合から考えれば(交通機関が付近にあまりない)、スタートゴール地点か、せいぜい二子橋付近になるだろう。でも、スタートゴール地点にしか応援者がいないというのも、マラソン大会としてはちょっと残念な気がする。どうしたらコース上に応援者を配置できるか。現状、ボラスタの輸送配置が懸念になっていることを考えると、なかなか難しい。 それとはちょっと違う話になるが、ランナーが自分の応援期待区間を設定できるようにしたらどうだろう。「先駆け」「追い馬」ではないが、「ここで応援して欲しい!」というポイントをゼッケンに表示する。「7km地点でよろしく」「2km給水ではじけます」といった具合だ。そしたら、7km地点で見ている人は、重点的にその人を応援する。どうだろう。うーん、応援されない人がビミョウか。 下一桁で応援するという手はどうか。「2担当」「5担当」など、ボラスタ側で担当を決めてユニフォームを着る。そして「2の人がんばれー!」とやる。 ビミョウな部分はあるんだけれど、全員をまんべんなく応援するというのは、難しい気がしている。何かメリハリがあったら、ダメかしらね。 ◆応援者はランナーのために何ができるのか 2006年頃のパラカップ(当時はまだパラサイヨカップ)ではそうした工夫を考えていたような気もする。しかし結局、何かランナーと応援の交流を考えるとランナーに負担になりがちなので2007以降では消極的になりつつあるように思う。 とはいえ、マラソン応援人口を増やしていくなら、やはりここは避けて通れない課題なのではなかろうか。 ホントに、応援って何をしたらいいのか、よくわからんのだ。応援したい気持ちはあっても、それをどの場所で、どう表現したら、ランナーのためになるのか、わからないので、会場をウロウロしてしまうのだ。「がんばれ」って口で言うだけでは、応援した実感がわかないのだ。一時間ずっとがんばれって言い続けるのが、なんだか無駄な作業のように思えるのだ。もしやこれは応援マラソン? あ、そういう企画もいいかも。 ただの一人の名もない応援者が、ランナーのために何をできるのか。その方法を、わかりやすく知りたい。そういう気がした。応援はランナーに本当に届いているのか、ランナーにとって嬉しい応援って何か。そういうアイデアが欲しい、と思った。