むかしむかし、あるところに、おじいさんと湯婆婆(ゆばーば)が

負の遺産

娘は鼻風邪でひどく咳き込み、夜中に目覚めてしまう。父親の慢性鼻炎を引き継いだのかもしれない。かけ布団を蹴っ飛ばすクセも父譲りだしな。肌の繊細さは母親から引き継いだので、乾燥肌を傷つけがち。なかなか前途多難だな、君の人生は。

演劇との奇縁な一日

私の中学校2年生の時の担任は国語の教師で演劇部の担任だった。彼女は私と友人を捕まえて、「あんたたち、絶対向いてるから」と演劇部に一日体験入部させた。演劇に向いている、と思ったのも嘘ではないだろうが、「もう少し部員を入れなくちゃ」と思ったのも嘘ではないだろう、たぶん。 そんな担任の無茶ぶりから始まった一日が、30年近くも少年の心に印象を刻むとは、人生まこと奇縁なり、としか言いようがない。その一日の体験入部が私の印象に残っている理由は二つある。

一つは純粋に技術的なことで、その日、私は腹式呼吸の基礎を学んだ。同級生の女子部員たちに囲まれ(後にも先にもまったく色っぽい要因はなかった)て学んだ腹式呼吸の基礎は、その後、何やかやで必要な時に私を助けてくれた。まったく不可解なことだが、私の人生にとって大して重要ではない腹式呼吸が、しかし何度か私の人生には登場し、そのたび、私はこの日のことを思い出した。

もう一つ学んだのは、私が、真面目なセリフを喋ることができない、ということだった。その一日体験入部の時に読み合わせをした脚本は、年末に公演を控えたもので、戦時中の教師と学生のなんだったか悲劇的な逸話を演じるもので、とにかく真面目で、笑いの要素はからっきしないシリアスな脚本だった。 私は読み合わせの最中、片時も真面目に演じることができず、すべての場面で笑える翻案が頭に浮かび、それをどうしても口に出して言わずにおられず、もうまったく全然読み合わせにならなかった。そのときに私が悟ったのは、つまり真面目な脚本は私には不可能だということだった。その頃、既に私の脳内には、避けがたく喜劇の要素が刻み込まれてしまっていたのだ。人生は喜劇なのだ。(演劇部には入らなかった、もちろん)

さてこの少年も四半世紀が過ぎれば人の親となり、娘を寝かしつけようと昔話(思い出話、という意味ではなく、いわゆる民話)をすることもある。しかし——果たしてこのおっさんが、当たり前の昔話を最後まで語り終えることができようか?

それとも——あの日と同じように、空想たくましく物語は本筋を逸れ、原型とどめぬ喜劇となろうとするだろうか? まして本筋を語っている途中、不意に娘が「違うよ」とアナザーストーリーを要求するとしたら?

今夜は特に体調不良の娘はご機嫌悪く、あらゆる機会に泣きまくっていた。苦し紛れに話し出した昔話は「むかしむかし、あるところに、おじいさんと」まで話した時点で既に敗色濃厚、ヤケのヤンパチで「湯婆婆(ゆばーば)が住んでいました」とウケ狙いに転じざるをえず、もうそのまま勢いで一人芝居を演じながら「お前の名前はおじいさんと言うのかい。贅沢な名だね。今からお前の名前はジージだ。わかったら返事をするんだよジージ!」となったり、「玉のようにかわいいカオナシが生まれました。あ……う……」となったり、「カオナシはぐんぐん育って『俺様は空腹だ。もっと持ってこい。金はあるぞ』」となったりしても仕方がない。娘はあっけにとられたのか泣き止んで聞き入っていたので、まぁいいか。

……演劇に向いている、と思ったのも、まぁわからんではないね。喜劇専門だったかもしれないが。

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