クレイ大佐の4本筋の傷

仕事で顧客めぐり。社長、部長と一緒に。

社長のレクサスを初運転。これはまるで近未来カーだ。自動車のキーを社内に持っていれば、回す動さなくボタン一つでエンジンがかかる。椅子を暖める暖房設備もある。ガソリン残量を元に航続可能距離も表示される。ワイパーもライトも自動だ。バックする時にはカーナビ画面が後方カメラに切り替わる。すげー。 群馬方面の協力会社を2つ見て回ってから帰社。 会社の旅行の打ち合わせ。あれこれの企画など。映像処理がもう少し楽にできるといいんだけれど、私の経済力では、映像処理ができるようなパワフルなマシンも、その処理ソフトも購入できない。習得する時間もないし。 「新保さんが『できる』と言ったら、できそうな気がする」 信頼をして頂いているのはありがたいけれど、それはきっと私のネガティブ/小心の現れね。私はできると確証がない限り、「できる」とは言えない。常に逃げ道を確保している。「できるようにする」とか「やりとげる」という発想に弱いのだ。 私がやっても、他の人がやっても、たぶん確度はあまり変わらない。ただそれを「できる」と言い切るか、言わないか、その違いじゃないかしら。 帰宅して風呂場で鏡を見て、ほっぺたに傷が入っていることに気づいてびっくりする。頬に、3~4本、ひっかいたようなキズが平行に走っている。既に血が固まってかさぶたのようになっているが、けっこう長い傷だ。傷は完全に直線で完全に平行で、爪ではなく刃物でつけたような鋭利な感じを与える。問題は、私がそんな場所に、そんな傷を付けた記憶がまったくないことだ。ほお骨の少し上のところで、こんなはっきりした傷が付いて気づかないという事は考えにくい。一帯何者の仕業なのか。この家にはグレムリンが住んでいるのか? チェスタトンの「クレイ大佐のサラダ」のように、何者かが私を葬り去ろうとしているのか…… よくよく考えたら思い出した。そうだ、今朝たしかに、T型カミソリの動かし方を間違えて、刃を横にすぱっとやってしまった。その場では血も出ていなかったように見えたので、何とも思っていなかったのだ。あれがこんなはっきり大きな目立つ傷になっているとは思わなかった。平行に4本走っているのは当然、私の使っているカミソリが4枚刃だから。