夫婦初花火

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横浜で行われる花火大会をカミさんと観に行くことにする。

1630時に家を出て、横浜方面へ。桜木町で下りて、歩く。臨港パークの方ならすいているのではないかと推測。しかもグランドインターコンチネンタル側ではなく、新高島側(北側)から接近することによって、割と見やすい、湾岸の席を確保した。

なにかと申すうちに花火が始まり、しばらくしてブログの告知を見たというA氏が登場。3人で花火を観る。

写真はどう見ても「人類滅亡の日」といった感じであるが、これでもデジカメの花火撮影モードで撮ったもの。やっぱ三脚ないと無理か。

最近の花火は技術革新なのか、いろんな工夫がなされていて面白い。ハートの形をしたもの、土星のような輪があるものなど、進化が著しい。

そうした新時代の花火を観ながら、次世代の花火について話し合う。というか主に私が妄想を語った。
花火をしていると煙が邪魔になる。花火自身の出す煙で、次の花火が見えなくなってしまうのだ(今日は特に、風がこちら向きで煙が多かった)。そこでやはり次世代花火は「無煙花火」が登場するのではなかろうか。煙の出ないクリアな花火。まさに夢のようだ。原理としては海上に巨大な換気扇を多数設置し、煙が出るや否や吸い込むというのがよかろう。あるいは上空に空気清浄機を配置するというのもいいかもしれぬ。これが実用化されれば、人類の花火史に大きな一石を投じることは間違いない。

それが実用化するまでの代案として、「みんなでいっせいに『ふー』と吹いて煙をとばす」というのも提案に含めた。これだけの人数で「ふー」と吹けば、さしもの煙もひとたまりもあるまい。さあみなさんご一緒に。

さらに世代が進んだ花火は、「二足歩行できる」とか「自律的に判断し、行動できる」さらに「人語を理解し、会話ができる」などの花火が登場するだろう。「こんにちは。僕、花火です」という挨拶が花火から聞けるようになるのも遠い日のことではない。我々人類の新たなパートナーとして、花火は生活に欠かせないものになっていくことであろう。

花火大会終了直前に移動を開始。南の方に行くほど花火が大きく見え、音も大きくなり、観客の反応もいい。やはり花火はちょっと無理してでも近くで見た方が面白いようだ。ちょうどクライマックスのところをいい場所で見られたみたい。

某所にて休憩。見ろ、人がゴミのようだ、を楽しむのこと。

■一年前の日記
2007年07月20日
接続された運転手
 
■今日買ったもの(メーカー 品番)
ポテチ(フランスの岩塩使用)など。