あれから10年も

私には、継続力がある(いい意味でも悪い意味でも)。 そう、私の恋人は言う。 (さぁ、今日のは長いぞ。ココロの準備はいいかい?) 私が初めてホームページを作ったのは、10年以上昔のことだ。大学のコンピュータールームだった。当時の恋人と一緒にコンピュータールームに入り込んだ私は、瞬く間にそこに入り浸りになった。 それまで兄の持っていたMacintoshを触ったことはあったが、その「Windows3.1」とかいうヘンテコなパソコンに触ったのは初めてだった。Macintoshはなんとかっこいいんだろう、と思った。そのヘンテコなパソコンはよく動作が鈍り、フリーズだのハングだので動かなくなるのは日常茶飯事だった。しかも不特定多数の学生が使えるように、再起動するたびデータを初期化して立ち上がる、というご丁寧な仕様だったので、何かがあれば、そのデータは虚空に保存されて二度と戻ってこなかった。 けれど、そのパソコンはインターネットとやらにつながっていた。そこで、私(と当時の恋人)は、ひたすら「動作の快適なチャット」を探しまくった。当時のチャットは今日のFlashYouTubeよりも遙かにストレスフルな代物で、数人の発言が集中すると、すぐ画面が更新されなくなり、最後にはPCがハングして、最初からやり直しになるのだった。しかもそのコンピュータールームではブックマークまで初期化されてしまうので、我々はすぐまたチャットルームに入れるよう、URLを手書きでメモっていた。(それだって、ずいぶん賢い方だった。当時のチャット仲間のうちには、しばしばチャットそのものが見つけられなくなってしまい「今日はたぶんあのチャットは休業日なんだ」と思っていた人さえいた)。結局私は「池田チャット」というチャットに住み着き、数人の知己を得た。 その一方で、私はホームページ(当時webサイトと言っている人はほとんどいなかった)の作成にも挑戦した。なぜそんなことをしたがったのか、今となってはよくわからない。ホームページを作るには、Windows3.1という奇妙なパソコンのさらに奥深く、奇妙な呪文を唱えて進む、文字だけの操作に挑まなければならなかった。まだ「UNIX」という言葉を知らなかった頃の話だ。 高いハードルにもかかわらず、私はホームページを作った。たしか、書店で指南書を1冊買ってきて、UNIXコマンドを駆使し、cdの使い方を覚え、ファイルリストを表示させ、emacsを立ち上げて、index.htmlを書き換える、ということまでやってのけた。完成したのはただ数行の自己紹介だけだった。それでも大満足だったし、当時の友人には「お前は自分(の個人情報)を切り売りしている」と呆れられた。 大学を卒業しても、あの「インターネット」「ホームページ」の興奮は冷めやらず、給料が出るようになるとさっそくダイヤルアップ接続の契約をSo-netと結んだ。そして、23時のテレホーダイから後は、ずっとチャットをしまくった。会社に泊まって仕事をしている時も、チャットしまくっていた。「夜の番人」と呼ばれた時期もあった。 そして、そう、So-netにホームページを持った。与えられた容量は5MBで、これはまったくけっこうな量のように思われた。文字だけなら、これで十分だと思っていた。画像なんか、回線が重くて見づらくなるだけの、見た目を派手にするだけの軟派なシロモノだ。不要物だ。 ホームページの名前は、少し考えて「Solitaire’s Company」と決めた。学生時代、音楽サークルで1度だけ使った名前が「Solitaire」だったから、そこからとった。音楽サークルの初期は一人で弾き語りすることが多かったので、「一人遊び」という名前にしたわけだ。つまり「このwebサイトはもがみたかふみの一人遊び(自己満足)に過ぎず、あなたの満足を保証するコンテンツは何もない」という、はなはだ後ろ向きな一人遊び宣言だった。その一方で「大したコンテンツはないのだからせめて見やすく」と、ページの見やすさにひどく気を遣った。極力軽い構成を心がけ、貧弱なパソコンでも読めることを心がけた。画像、表組でさえ極限まで削った。背景は、季節ごとに変更しようと思っていたけれど、画像を作るのが面倒になり、5月用の黄緑で固定してしまった。 ホームページには、当時流行だった、teacupの掲示板をつけた。友人たちがたくさん書き込んでくれることを期待したけれど、すぐ閑古鳥が鳴くようになった。友人といえども閑古鳥が鳴く掲示板に書き込んでくれる人というのは少ない。誰かが掲示板を回さなければ、書き込みは増えない。自分で回すしかない。でも、何を書こう? 仕方がないので、掲示板に日記を書くことにした。独り言でも書いておけば、誰かが掲示板に書き込んでくれるだろう、というのが、最初の動機だった。おまけに、HTMLを更新して日記を書く手間に飽き飽きしていたところだったから、掲示板で日記になるなら、こんな楽なことはない。そういうわけで、日記を掲示板に書き始めた。最初は日記のつもりではなかった。掲示板の呼び水のつもりだったわけだ。だから長らく、掲示板はただの「Solitaire’s Board」という名前で、Diaryではなかった。更新も今のように毎日を網羅する内容ではなくて、数日に一度、ささっとその日のことを書き込むだけだった。 何度も存続の危機にはさらされた。日記ばかりが続いて誰もコメントを書き込まないと、もう嫌気がさしてきて、「誰も見てないし、辞めようかな」と書いた。でもそのたび、誰かがやってきて「読んでる」とか「面白いから続けて」と書き込んでくれた。あるいは直接会った時に「日記読んでるよ」と声をかけてくれた。それで、なんとか続けるつもりになった。 WebサイトのHTMLの方の更新が面倒になり、手つかずになってしまっても、日記だけは更新するようになった。周囲の友達はCGIを使った日記サービスなどを使う人もいたけれど、それだと誰も掲示板に書き込んでくれなくなりそうで、日記掲示板にこだわり続けた。(ちなみに「日記板」という呼称は、2ちゃんねるで「○○板」という呼び方が定着して以降) 結局、teacupがリニューアルで使いにくくなり、RocketBBSへ移った。それからブログが非常に人気が上がり、機能的にも使いやすくなってきたので、そちらがメインになった。今や、更新しているのはブログだけ。もう、個人がホームページを作って更新するような時代は、とうに終わってしまった。このブログを「Solitaire’s Company」と改名した方がいいのかもしれない。どうせ文章しかコンテンツはないのだし、それだったらブログをいじれば済むレベルの話だ。いずれ時間ができたら(できた試しはないが)そうするかもしれない。 ともかく、そういうわけで、このホームページ「Solitaire’s Company」は、2007年11月30日をもって、10周年を迎えたことになる。ただし厳密には「10周年記念の日」だ。正確な公開日が記録に残っていないため「What’s New」の最古の日付「'97.11/30」を以て記念日としているため。 10年間、いろんなことがあったけれど、感謝することが本当にたくさん。 ありがとう。