マニラ・ストイックス

記録については以下。 パラサイヨツアー初日その1 マニラの灯 パラサイヨツアー初日その2 いきなりミーティング この日はやっぱり久しぶりの海外旅行で若干ナーバスで、朝からそわそわしていた。忘れ物があるような気がしてならないんだけど、どうしてもそれが見つからない。実際には、夜、KKD班のミーティングで使う賞状のコピーを忘れていたわけで、ある意味、腑に落ちたと言えなくもない(苦笑) 空港でもなんだか落ち着かなくて、パラメンの後をうろうろしていた。その辺り、弱いなーと思う。 他の人の日記にもあったけれど、パラサイヨのツアーは非常にストイックだ。CMSPにいる以外の時間は、ミーティングと飲み会、対話しかない。 ツアー中はノートにずっとメモを取り続け、ヒマさえあればノートを開いて書くということにしていたのだが、そのヒマがない。予想していたことだけど、本当に無い。だから、メモも不完全な覚え書きになっているし、それを記憶で補完しながら書いている。 やはり、カメラを持っていけばよかったなー、と思うことしきり。時間がない時でも、カメラだったら記録できるもんね。そしたら……そしたら、もっとレポートが長くなっていたわけか(苦笑) それも考え物だな。 当然、観光はまったくゼロ。例年は他にもあったのかもしれないが、今年は本当にゼロだった。誰かにマニラのことを訊かれてもまったくわからないくらい(そもそも、ホテルの位置を地図上で把握するのでさえ、非常に苦労した)。 あ、それから、子どもの名前をweb上に掲載することはできない、というルールになっているので、すべての子どもの名前はイニシャルだけになってます。まぁ日本人も基本的にはイニシャルだけど。 夜のS氏とY氏の対話は、非常に興味深かった。これだけの大きな組織を引っ張っていくのは、大変なことだろうし、それなりに迷いも尽きない。私が活動を続けるとしたら、そういう場面に触れたことも今後、意味を持つだろう。 S氏が帰った後、Y氏に「このツアーのことをどう思っているのか」というようなことを訊かれて、私は「このツアーが私を変えるかどうか、そのスリルを味わっている」と答えた。 私はもともとクールな人間で、実のところボランティアにも深い関心はない。私は(よく誤解されるが)「人のために」何かをするような人間ではない。だから、ツアーに参加したところで、みんなが言っているような「深い一体感」とか「涙の惜別」みたいなものは感じないだろいう、という予測があった。その予測ゆえツアーへの参加を躊躇した面もある。 その一方で、“もしかしたらそれが一変するかもしれない”という「危惧」も多少はあった。事前に何を言っていたとしても、子どもたちを一目見たら感情移入し、涙ぼろぼろ、日本に帰りたくなくなってしまうくらいの結びつきを感じる……という可能性も、否定はできなかった。 「『フィリピンへ行って養育施設の子どもに会う』という未曾有の体験が、私に変化をもたらすのかどうか。変化するとしたらどの程度の変化なのか」 これが私にとってのツアーのテーマであった。 それからもう一つ。この時、Y氏と会話をすることによって、どうやら私の中の考えが少し整理されたらしい。それまでは気づかなかった一つのスタンスに気づいた。 それは「クールでドライな結果に終わったとしても、それはそれでパラサイヨには存在できるじゃないか」ということだ。 私自身が子どもに感情移入しないクールでドライな結果に終わったのだとしても、パラサイヨにとどまることはできるし、それはそれで希少価値もある。クールでドライなパラメンというのも、いていいじゃないか。 ま、こういう考え方をひねり出すってことはたぶん、私もパラサイヨに残りたくなってきた、ということなんだろうな。 ちなみに結論から先に言うと、結果は比較的クールだった。 私はやっぱり、涙ボロボロになったりはしなかった。 たぶん、私が子どもを好きなんじゃなくて、子どもが私を好きなんだ。 「私を好きな子ども」なら、私だって好きだ。 でも、そういうことじゃ、ないんだよな、きっと。 子どもと私の関係についてはまだ書くこともありますので。 この随想は、明日以降についても続きますよ。