子育ての長期的一貫性(prj_80yearsOfHappiness補足)

2015-11-28 18.25.50

子育ての長期的一貫性

ここ数年、私の人生における目標はおよそ10の「プロジェクト」単位でまとめられている。今年、新たに一つのプロジェクトを加えることにした。昨年辺りからぼんやり考えていた構想を、ブログに明文化した。(あ、prjはプロジェクトの略ね)
prj_80yearsOfHappiness~子供の80年間の幸福度を最大化する [74thHeaven]

私の記憶力は時に異常で、子供の頃に抱いた不満やなんかを妙によく覚えている場合がある(根に持つタイプなのだ)。人は、悲しい出来事をすぐに忘れてしまう。
母校に教育実習に行って驚いたことの一つは、教育実習生でさえ「生徒が勉強しない」と不平を漏らすことだった。君ら、学生時代には「教師の教え方が悪い」って言ってたじゃないか! 人は、悲しい出来事をすぐに忘れてしまう。

もう一つ私が覚えているやりとりの一つが、「大人になったら『やってよかった』と思うので、今は勉強しなさい」という教師の論理である。高校生の私は非常に怠け者で勉強が大嫌いだった(田舎の学校はむやみに拘束時間を長くしようとする)ので、これに対抗する理論武装を探し求めた。それはあった。自殺者の「死ぬのは勝手だ」論に対する反論として「死ぬというのは将来の自分を殺す殺人である」という法理論がある(出典忘れたが…)。「現在の自分」と「将来の自分」を人格的に別と考えることによって、自殺を抑止する理論である。これと同様に考えると「大人になったら『やってよかった』と思うので、今は勉強しなさい」という理論は「40代のおっさんの生活を安定させ喜ばすために10代の若者を拘束し勉強させよう」という話になる。酷い話ではないか! 真面目な話、若者の1時間を奪って40代をより裕福に安楽にすることが、本人にとって本当にいい結末だろうか? その1時間を最大限人生で活用する方法が、本当に勉強なのだろか?
一方で……40代のおっさんとなってみると、「そうは言っても、若い頃にやっておけばよかったなぁ」ということは無数に存在する。若者を叱咤激励したくなる気持ちも分からぬではない。

してみると、ある1時間の価値を「おっさん優先」「若者優先」みたいに一律に決定することは賢明とは言えない。必要なのは公平なマネージャーであり審判者である。「おっさんの生活」と「若者の1時間」を比較検討し、どちらを重視すべきかはおっさんでもなく、若者でもなく、客観的に決める第三の人格が必要なのだ!

若者がこれを自分で判断するのは難しい。おっさんの経験がないからだ。だが親がこの役割を誠実に果たすことができれば、有益である。
というような経緯で、prj_80YearsOfHappinessは生まれた。人生の幸福を最大化する、という目標を掲げ、若者の1時間とおっさん/おばさんの生活をできるだけ冷静に秤にかける。

となると、目指すべき幸福も定義しなければならない。いったいどのような人が幸福か……ということを、自分の限られた知見から抽出してみた。
そのほか、「これを若いうちに習得できていたら、人生違ったかも」というようなスキルセットも示唆することにした。親の不出来を子に託すようでやや子供にとって迷惑な面もあるかもしれない。こうしたものを習得することが却って人生を損なうこともないとは言えない。まぁ人の親としては初心者なので娘にはご容赦頂きたい。これでも精一杯やっているのだ。

子育てをする上で「すべきか、すべきでないか」というような迷いは多いが、目標や方針を明文化して基準を作ることで、迷いを減らすことができるのではないかと思う。覚え書き的な側面もある。

詩の語の録

娘「ピンポーンって言って」父「ピンポーン」娘「誰ですか」父「おとたまです。誰が書いたの」娘「しんぼしのです」

画伯の中で定型のやりとり。劇作家の誕生である。

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[caption id=“attachment_8484” align=“alignnone” width=“600”]2015-11-28 18.35.44 「かばさん」が「にっこり」の図。目や口を描くようになりつつある[/caption]

「(母を指して)この人はおっぱい。(父を指して)この人は抱っこ」

父に抱っこを要求しながら。

「今度しのちゃんの好きなお店行こうよ。しば漬け売ってる店なんだ。」

しば漬け大好きッ子さんのお誘い。

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