大規模なアートフェスティバルである「横浜トリエンナーレ」が11月30日まで開催されている。カミさんが行きたいと言っていたこともあり、この三連休で行ってみることにした。
カミさんが、既にトリエンナーレに行った知人(恩師)に電話をかけてオススメを聞いた。と、奥歯にものの挟まったような返事が返ってきた。「うーん、あんまりオススメってほどのものは……周りの人も黄金町バザールの方が面白いって言ってるし……」
「黄金町バザール」? って何だ?
調べてみると、トリエンナーレと時を同じくして行われているアートフェスティバルで、かつては風俗系の街として知られていた黄金町再生の一環として街のあちこちにアートを配してやっているらしい。 ふーむ。時間があれば行ってみるかにゃー。
トリエンナーレは10時から、黄金町バザールは11時から。黄金町から攻めようか、とも思ったんだけれど、カミさんがトリエンナーレを優先したい、というのでトリエンナーレから攻めることに。 みなとみらい線「馬車道」駅で下車。駅構内にチケット売り場ができているのこと。チケットを2枚購入。まず日本郵船の倉庫会場へ向かう。
ここには、ビョークの旦那であるらしきマシュー・バーニーの作品がある。まったく手がかりがないので、とりあえずミーハーな方面から攻めることにした。
1階で勅使河原なんとかさんの展示が行列を作っており、1時間待ちになっている。さすがに1時間待つ気にはなれず、他の展示だけ見ることに。
グロいのが多い。 orz
ネットで「マシュー・バーニーの変態映像」と書かれた記事があったんだけれど、ホントにそういう感じだし。こんなの45分も見てらんない。
全体に映像作品が多く、そのどれもが意味不明な感じに仕上がっていて、もう、なんか、全然眺める気にならんのですよ。退屈……。
現代アートというものに関して、暗澹たる絶望感に包まれながら会場を立ち去る。
現代アートは「見られる」という地平から脱して「見せる」という変態的な領域へ突入してしまったのではなかろうか。そこにあるのは「見られる」「評価される」「理解される」という客体から、「見せる」「表現する」という主体に突き抜けてしまったモノたちだった。
作家の脳内を再現することには成功しているのかもしれないが、そこには「理解される」ための共通言語が欠けている。メッセージが込められているのかもしれないが、残念ながらそれはほとんど誰にも届かないメッセージである。 あるいは、アートはそれでいいのかもしれない。だが取り残された観客はどうすればいいのか。わからないまま立ち上がって「ブラボー!」と拍手を送ればいいのか? それとも、無知なる大衆は学ぶことによっていずれ彼らに追いつくことができるのか……かつて「理解不能」の代名詞だったキュビズムが、徐々に理解され浸透してきているように?
ショップでトリエンナーレのピンバッジを購入。シンプルな金の三角がいい。
第一会場である新港ピアに答えがある、という望みを託して、新港ピアに向かう。
カミさんと私は展覧会ではゆるやかに単独行動になることが多い。それぞれの見るペースが異なるためだ。新港ピアでカミさんとはぐれてまもなく、まったく偶然に、うちの長兄に遭遇した。
彼によれば、ヨーロッパ(ヴェネツィア?)の「ビエンナーレ」がこの「トリエンナーレ」の原型ではないかということ。ヴェネツィアは「2年に1回」なので「bi」、横浜は「3年に1回」なので「tri」となっているらしい。(biは2の意味、triは3の意味) ここの展示は郵船倉庫よりはまだ明るい雰囲気だった。郵船倉庫のはグロい作品が多く、R15指定もけっこうあったのだけれど、こちらはまだ雰囲気がいい。相変わらず理解不能ではあるけれど、ちょっとは面白いものもある。
カミさんと再会したところ、兄と昼食をとりたい、というので、兄を誘ってワールドポーターズへ向かう。「To the Herbs」で昼食。
その後、一緒に第三会場の赤レンガ倉庫へ向かう。ここもそう大して面白い作品はなかった。がくー。
ショップをのぞく。青山スパイラルが持っているショップがあり、なかなか面白い品物がある。Coobのクリエイターダイアリーは、蛇腹でバーチカルなカレンダー。書くスペースが大きく、けっこう使いやすそう。プロジェクト管理欄もたくさんあるし。
赤レンガ倉庫の前で、スケートリンクが準備中。そのうち、ここで滑れるようになるみたい。
兄と別れて黄金町へ向かう。 →黄金町バザール2008