スエズ運河

20080426_113543.jpg

右には延々と砂漠。左には街が広がる。そして、正面にはまっすぐの水の道が続く。スエズ運河を通ると、そんな風景が一日続く。朝から夕方まで。

してみると、この「運河」というものを、きちんと、真面目に、イメージしたことはなかった。なるほど、スエズ運河が紅海と地中海を結んでいるということはよく知っている。では、実際にそこを船で渡ると、どんな風景が見えてくるか。

川のようなものかと思ったが、川とは違った。少なくとも、日本の川とは違う。川であれば流れている。ここには流れらしい流れはない。上流も下流もない。幅はいたって狭い。だが船はかなり大きい。川舟ではないのだ。洋上をクルーズする外洋船である。平坦な、幅が200mに満たない狭い水路を、全長200m近い外洋船がそろり、そろりと進んでいく。

左の岸には、水路沿いに道路があり、その向こうには都市がある。バイクが走ったり、人が歩いていたりする。都市が途切れる場所もあるが、集落や緑がなんとなく続いている。右の岸には、ほとんどずっと、茫漠たる砂の海が続いている。これまた例外はあって、一部、都市になっているところもあるが、ほとんどは砂地だ。 20080426_083029.jpg

左の岸辺には、たくさんの兵士たちがいた。銃を持って歩哨に立っている(たぶん、シナイ半島は非武装化地域に指定されているので、右岸には展開できないのだろう)。中東戦争で破壊されたらしき家もたまに見かける。歩哨は、1人の時もあるし、数人から10数人が集まっている場合もある。彼らの半分くらいは我々の船を見つけると口笛を吹いて注意を引き、大きく手を振って挨拶してくれた。「Welcome!」と叫んでくれる人もいる。街の子どもたちも手を振ってくれる。毎日たくさんの船が通過するのに飽きもしないのか、なんと人なつこいんだろうと思ったが、後でその理由に思い至った。

20080426_132952.jpg

彼らは日本船だから歓迎してくれたのに違いない。というのも、スエズ運河には、日本の無償経済協力によってできた立派な橋があるからだ。ムバラク平和橋、または日本エジプト友好橋と呼ばれている。スエズ運河の地中海寄りにかかっている。まこと、大きな立派な橋だった。この橋のおかげで、当地では日本の人気がすこぶる高いのだろう。

20080426_135457.jpg

スエズ運河にたくさんのルールがあるというのを、今回初めて知った。まず通行料金は、1回につき約1700万円。ちょっと忘れ物をしたから戻ろうか、というわけにはいかない金額だ。仰天した。

すべての船は船団を組んで1列で通行することになっている。そのため、集合時刻が決められており、その時刻に遅刻すると罰金が発生する。例えば30分までの遅刻罰金は通行料全額の3%。1700万円の3パーセントだから、これまた馬鹿にはならない金額である。今回は、紅海にあるサファガを出る際、サファガ税関のせいで大幅に出港が遅れ、船長はスエズ遅刻を心配してやきもきしていた。サファガの役人とスエズの運河庁でグルなんじゃないかという気さえする。

他にもスエズルールはたくさんある。パイロット(水先案内人)を必ず乗せる。ボートマンや照明担当(砂嵐の時に活躍する)も乗せることになっている。このボートマンや照明担当は異常発生時に仕事をするだけで、平時はほとんど仕事がないのだが、では船内で何をするかというと、商人に変身する。デッキの一部を間借りして、のみの市を開いている。商品についてぱしふぃっくびいなすは一切関知しないとあらかじめお客には連絡があった。一応商品を眺めてみたが、実際、粗悪品も多そうだ。

運河内の通路は基本的に狭く、単線となっているので、すれ違うことはできない。特定のバイパス区間でのみすれ違うことができる。狭い中州を挟んですれ違う箇所もあるので、うまくすると「砂の上に浮かぶ船」のような写真を撮影することができるという(実際には、高さの調整がなかなか難しい)

すべての船は船団を組み、前の船について進む。南向は2船団。北向は1船団。そのため、北向船団は2回、南向船団とすれ違う。南寄りの湖の中で1回、北寄りのバイパスで1回。

前回は予定時刻から4時間遅れたそうだが、今回はむしろスムーズ。食事をとるのもあわただしいくらいだった。朝7時から16時までかけて、スエズを通過。紅海から、地中海へと入った。

■参考 ◆キール運河:牧歌的運河: [Mo-lg]あと3つ/パナマ運河ライブカメラ観覧のお誘い: [Mo-lg]

後日追記

スエズ運河が再々値上げも海運会社はなすすべなし|inside|ダイヤモンド・オンライン

スエズ運河 - Wikipedia [EOF]